元日本代表クラスの選手でも、中学の時はJリーグのクラブのジュニアユースに所属し、150cm程度で抜群にボールさばきが上手かったが、対人プレーで尽く体の大きい選手に負けてしまい、ユースに昇格できず、高校入学後に急激に体が成長し、180cm近くまで大きくなり、技術と体の大きさを伴ったハイブリットな選手を、私は知っている。
その選手の名は、中村俊輔と言う。高校サッカー選手権で準優勝し、元いたジュニアユースのクラブに、高卒ルーキーとして入団した。
その後、その選手は、技術的にも、肉体的にも研鑽を重ね、クラブの10番を背負ってJリーグで活躍した後、海外クラブに移籍した。
始めに移籍したイタリアのクラブでは、あまり活躍できなかったが、次に移籍したスコティッシュ・プレミアリーグのクラブで、大活躍した。
特に、欧州CL(チャンピオンズリーグ)の試合で、イングランド プレミアリーグの格上クラブを相手に、終了間際に芸術的な左足のFK(フリーキック)を決めて勝ち、クラブの伝説になった。
数年、そのクラブで活躍した後、別のクラブへ移籍したが、中村俊輔の活躍は、クラブのサポータの心の中に、燦然と輝く記憶として残っているらしい。
クラブ側から、その選手に対し、現役引退するときは、ぜひ、うちのクラブで引退試合をして欲しい、との申し出を受けているそうだ。
中村俊輔が一番輝いていた時期、左足でボールを刷り上げるような彼の独特なFKの蹴り方を、メディアで観た子どもたちは、皆、真似しているのを近くの公園で見かけた。
中村俊輔は、日本代表でも10番をつけて活躍し、晩年はJリーグのチームに移籍し、引退後のシーズンオフには日本で引退試合を行った。スコットランドでの引退試合は、実現しなかったらしい。現在はコーチとして、後進の育成にあたっていると聞く。
私の拙い経験から言っても、小学生の時に人より早く成長期が来たため、小学校卒業時には、身長が160cmを超えており、小学生にしては、大きい部類だった。
私のその頃のサッカーのプレースタイルは、大きな体を使った、力任せにボールを蹴るもので、それでサッカーの試合が成立してしまうから、当時の私は、技術の研鑽に目がいかなかった。
中学入学後も身長は伸び続けたが、中学2年生の夏休み空けに、172cmで、ピタリと身長が止まってしまった。
172cmと言えば、成人男性の平均身長だ。私はそこから技術の研鑽を始めたが、時は既に遅かった。
高校では、中肉中背にカテゴライズされ、特に目立った特徴もないまま、サッカー部の1部員として、私は埋もれていった。両方の例を挙げるべくもなく、
幼少期、または、ゴールデンエイジと言われる11~12歳くらいの間までに、技術の研鑽に励むことは、非常に有益なことだと、私は思う。
また、中村俊輔は、自身の子どもの頃を振り返り、ジュニアユース時代、体が小さく、相手との接触プレーで負けてしまうため、徐々に出場機会が減少していった時、上手くいかない事に腐ってしまい、練習に身が入らなかった事を今でも恥じている、と何かのインタビィー記事で読んだ事がある。
そのため、Jリーグや海外のクラブで出場機会に恵まれない時でも、決して腐らず、今、自分のできる事に焦点を合わせ、研鑽を怠らなかったそうだ。
私も仕事で上手くいかない事があった時、つい、文句を行ったり、やる気を無くしたりする事があるが、少しは反省して、今、対応できる事を着々と進める様に心がけたいものである。
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